2020年東京オリンピックで大注目の水泳選手[color color=”red”]瀬戸大也選手[/color]。
瀬戸大也選手は世界水泳選手権で金メダルを4つも獲得してします!
そんな瀬戸大也選手、子実は供の頃は水が大の苦手だったとか・・・
今回は瀬戸大也選手の意外な[color color=”red”]子供時代[/color]をご紹介します!
①瀬戸大也の子供時代 -子供の頃は水が苦手だった?-
瀬戸大也選手は2020年東京オリンピック選手でも金メダル獲得を期待されています。
(せと だいや)
●生年月日:1994年5月24日(26歳)
●出身地 :埼玉県入間郡毛呂山町
●身長 :174kg
●体重 :72kg
●所属 :全日本空輸
今では水泳界で超有名選手ですが、実は子供の頃は[color color=”red”]水が大の苦手[/color]でした!
母親の話では、お風呂で髪の毛を洗う時、顔に水がかかるだけで泣いていたそうです。
かわいいですね。
瀬戸大也選手は5歳の時に水泳を習うことになりました。
水泳を始めたばかりの頃は水が嫌いで泣いていたそうですが、少しずつ克服していきます。
6歳になり小学生になると、すぐに頭角を表して水泳の全国大会に出場しました。
小学生のときから水泳界では有名な選手だったのですね。
さらに中学生の頃には全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会400m個人メドレーで優勝。
当時の日本中学生新記録を叩き出しました!
こうして見ると、小学生の頃から才能に恵まれて負け知らずだったように見えます。
しかし、小学3年生から中学2年生までの6年間ずっと勝てなかった相手がいました。
②瀬戸大也の子供時代 -萩野公介にボロ負けしていた?-
瀬戸大也選手が6年間勝てなかった相手。
それが[color color=”red”]萩野公介選手[/color]です。
瀬戸大也選手は小学3年生の時に萩野公介選手と出会います。
埼玉県の学校に通う瀬戸大也選手と、茨城県の学校に通う萩野公介選手は、
同じ関東圏のため様々な大会で顔を合わせていました。
瀬戸大也選手は萩野公介選手に全く歯が立たず・・・
何度も悔しい思いをしました。
もちろん萩野公介選手は瀬戸大也選手をライバルとも思っていません。
瀬戸大也選手がすごいのは決して諦めなかったところです。
レベルが違っても諦めずに萩野公介選手に挑み続けて、中学2年生の時に、ついに[color color=”red”]萩野公介選手に勝利[/color]することが出来ました!
勝利を収めたこの時から、萩野公介選手も瀬戸大也選手をライバルとして見始めます。
③瀬戸大也の子供時代 -挫折しそうな時に救ってくれた母の言葉とは-
何度も萩野公介選手にボロ負けした瀬戸大也選手。
どうして6年間も悔しい思いをしたのに、諦めずに頑張ることができたのでしょうか。
瀬戸大也選手のご両親の教育方針は次の3つです。
②それに立ち向かうチャレンジ精神
③努力を怠らない姿勢
この姿勢を瀬戸大也選手に叩き込みました。
『「できない」とか「いやだ」、「ダメ、無理!」といったマイナス思考に結びつく言葉は口に出してはいけない』
と教え続けて、ポジティブに取り組むよう教え込んだのです。
その甲斐あって、瀬戸大也選手は負けず嫌いの子供に育ちました。
そんな瀬戸大也選手でも、さすがに6年間もボロ負けしては折れそうな時もあったでしょう。
思い悩んで苦しんでいた時、母親の言葉が心の支えになりました。
そう思えるライバルがいることは幸運で、萩野公介さんは大切な存在だよ。」
「負けることで、次に頑張ろうと思わせてくれる。
2番手の方がありがたいんだよ。」
「強い子がいると、その世代は強くなる。ラッキーだよ。」
この言葉に支えられて、萩野公介選手に勝利を収めるまで諦めずに頑張る事ができました!
そして父親の技術的な支えも瀬戸大也選手を後押ししました。
④瀬戸大也の子供時代 -父親の技術的なサポートとは?-
瀬戸大也選手の父親は技術面でも瀬戸大也選手をサポートしています。
なんと、水泳のフォームを確認させるために、水中で使える大きな鏡を作ったのだとか!
すごいですね・・・
瀬戸大也選手の父親はパイロットとして勤務していたため、
いろんな国を飛び回って多忙な毎日を過ごしていました。
そんな中で一生懸命作ってくれたことが、瀬戸大也選手の心に響いたのかもしれません。
父親と母親の支えがあったからこそ、今の強い瀬戸大也選手がいるのですね!